山口 真由
信州大学社会基盤研究所特任教授
札幌市出身。2006年東京大学法学部卒業。同年4月に財務省に入省。2009年~2015年弁護士として法律事務所に勤務。2016年8月、ハーバード・ロー・スクールを卒業。(LL.M.)2020年3月、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)2021年4月より現職。近著に、日経BP『挫折からのキャリア論』、幻冬舎新書『世界一やさしいフェミニズム入門 早わかり200年史』など。
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晴れの日の雨に備える、本当に役立つリスクマネジメントとは?
2024.10.15 配信多くの経営者は会社の業績を上げようと、日々、心を砕いている。そういう攻めの姿勢を重視する方々に“リスクマネジメント”という、数字に直接つながらなさそうな守備固めはさほど魅力的には映らないだろう。だがどんなビジネスチャンスの裏側にもリスクは必ず存在する。売行き好調な看板商品に依存している場合、その品がリコールされれば会社の収益力を危うくする。大きな契約の締結だって、売掛けを回収できないまま取引先が倒産するおそれがついてくる。事業の向こうに無数に点在するリスクに目をつぶるのでなく、あらかじめリアルに想像するのがリスクマネジメントの第一歩である。そのリスクの大きさと起こる可能性を掛け合わせたうえで、回避したり軽減できればそれもよい。だが、リスクを最小化するのが経営の目的では決してない。ときとしてリスクを取ってでも事業を拡大する判断を多くの経営者がされてきただろう。適切にリスクテイクするために、いざ顕在化したときの優先順位を平時に決めておく。これがリスクマネジメントの要点ではないか。
■小林製薬の事例と判断の難しさ
たとえば、小林製薬の紅麹配合サプリメントによる健康被害は記憶に新しい。企業買収により取得した製造拠点の管理体制も問われるが、現時点で会長・社長辞任の直接の引き金となったのは今年1月15日に医師から報告を受けていたにもかかわらず、公表に2か月以上を要した点にある。多くの会社にとって商品の自主回収は致命的な経済損失が生じうる難しい判断である。一方、小林製薬の事例では、紅麹を使用したサプリメントの同社全体の売上げに占める割合は昨年度においてわずか約0.3%に過ぎず、それに伴って生じうるさまざまな賠償を視野に入れてもそう簡単には揺らがない強固な財務基盤が存在する。
だが、実際に判断の場に身を置くと、常に数字で割り切れない要素が絡むのは、経営者の方々こそよくご存じだろう。たとえば、小林製薬は自社でサプリを販売するほか間接取引を含めて173社に紅麹を原材料として卸している。取引先との信頼関係や波及効果は、回収を躊躇させる要因になりうる。さらにいえば、同社を現に支える看板商品の多くを世に出した父は、いまだ会長として社内に厳然と存在する。跡を継いで社長となった息子が、どれだけオーナーシップを持って大胆な決断ができるかといった心理的な要素も、リアルの世界では意外と無視できなかったりする。
■危険時の正常性バイアス
危機時においては、客観的な数字だけではない主観的な事情、属人的な気質やしがらみが視界を曇らせる。こういうときに「よくある通報だ」「因果関係がはっきりしない段階での公表は混乱を招く」と事態を矮小化する材料を集めてしまう正常性バイアスは、どんな優秀な経営者でも大なり小なり働くものだ。だからこそ、健康被害に関する確度の高い情報があれば危機モードに切り替える、その場合には会社の利益よりも消費者の健康を最優先にするといった判断の軸を平時に定めておかなくてはならない。
たとえば、旭化成は、2002年の延岡支社の工場火災において、まだ鎮火ができない現地で4回も記者会見をして状況を逐一説明し、翌朝一番の飛行機で社長が宮崎入りして謝罪会見を行った。近隣を含めてすべてのステークホルダーに配慮する姿勢は、不祥事にもかかわらずむしろ好感を持って受け止められた。また、2009年から10年にかけて北米でのトヨタに対する大規模リコールの際、米国で開かれた公聴会で豊田章男社長は「トヨタの優先要件は、第一に安全、次に品質、そして量であることを改めて明確にし」つつ、「すべてのトヨタ車に私の名前がついています。私にとって車が傷つくことは私自身が傷つくことです」と逆境における強烈なオーナーシップを発揮した。これを契機にトヨタバッシングの風向きは変わり、そして最大の危機に正面切って立ち向かった創業家社長の態度は、いまに続く社内のリスペクトにつながっていると評される。
■平時の準備が重要
これらの対応はすべて一朝一夕には生まれない。旭化成には優れた広報マンが存在したし、トヨタも想定問答のリハーサルを重ねていた。だが危機対応は大企業の専売特許では決してないのだ。リスク管理委員会を作ったり、リスクマップを作製したり、そういう形式を整えるのは悪いことではない。だが本質は、平時において最大の危機を想像し、そのときにも会社が守るべき価値を規定し、自らコミットする経営者の主体性である。どれだけ真面目に運営している企業でも不祥事は起こりうる。そういう話をすると不機嫌になる経営者の方も多い。だが、不祥事そのものが問題ではないのだ。その後の対応こそが決定的に重要で、それによって企業のそして経営者の真価が分かたれる。ぜひ晴れの日から雨も降ると想定して心に傘を用意していただきたい。
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